全州豊南門は昔の全州邑城の南側の門で、丁酉再乱の時に破壊されたものを英祖10年(1734)に城郭と城門を建て直しながら明見楼と呼んでおり、全州豊南門という名前は観察使ホン・ナギンが英祖44年(1768)に建て直しながら…
全州豊南門は昔の全州邑城の南側の門で、丁酉再乱の時に破壊されたものを英祖10年(1734)に城郭と城門を建て直しながら明見楼と呼んでおり、全州豊南門という名前は観察使ホン・ナギンが英祖44年(1768)に建て直しながら付けたものである。 純宗の時の都市計画で城郭と城門が撤去され、全州豊南門も多くの損傷を受けたが、現在ある門は1978年から始まった3年間の補修工事で昔の姿を取り戻したものである。 規模は1階が正面3間、側面3間、2階が正面3間、側面1間であり、屋根は側面から見た時に八の字の形をした入母屋造りである。
屋根の軒を支えるために装飾して組んだ構造が柱の上にだけある。 平面上から見た時、1階の建物の幅に比べて2階の幅が急に減って狭く見えるのは、1階の内側にある柱をそのまま2階まで上げて隅柱として使用したためである。
ストーリー5本・約7分
約100m
約200m
約250m
距離は直線距離です。